苺から伝わる家族の愛情の受け取り方

某損保のラジオCMの話。

お父さんが娘にショートケーキの苺をあげている。

お父さんって、いつも苺くれるんだね、と言う娘。
するとお父さんが、娘が生まれてから苺を食べたことがないという。

何でそんな事するの?と驚く娘に、娘の喜ぶ顔を見る方がいいからだと答えるお父さん。

でも苺食べたいでしょ?の問いには、喜ぶ顔が楽しみでついつい我慢すると言う……。

……重いわー。

こんなん言われたら、私やったらお父さんの前でよう食べられんわー。

一緒に食べる幸せもあるやん。
たまには一緒に食べたらええやん。
ていうかさ、苺をパックで買ってきたらええやん。

こういうのって、自分がどんな家庭環境で育ったのかで思う事が変わるんやろな。

5人家族だった我が家は、ホールケーキを母が5つに切り分けると、残る4人でじゃんけんして勝った人から好きなピースを選ぶという、親も子も関係なく公平に分けあっていた。
切った人はどれが大きいか分かっているのでじゃんけん参加の権利がない分、切るのが慎重になる徹底ぶり。

これも家族の1つのレクリエーションでありコミュニケーションだったし、父が1番に勝っても子どもの私達兄弟に大きいのを残してくれる事もあった(本当にたまのことやったけども。基本は1番大きいのを取るのが父だった)。

うちの公平さは、大人気ないと映る場合も多いやろなぁ。
それでも私達子どもは、理に適っていると納得したし、今もじゃんけんが最適だと思っている。

閑話休題。
CMの最後に損保のナレーションが入る。

「大切な人の為だけに挑戦できることがある」

なんていうか、苺を娘に与え続ける挑戦はお父さんの意地なんやろうけど、我慢していると娘に言ってしまうのは、愛情の押し売りな気がしてならない。

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