報道は大衆との信頼関係が大事なのではないのか?

朝早い時間に人気歌舞伎役者さんがブログで、報道関係者へ向けたメッセージを出された。

人生で一番泣いた日です、と。
察してほしい、と。

役者さんの奥さんが闘病中だったことは周知の事実で、そこへこのメッセージ。

短い言葉の中に、日本人なら分かるだろう分かってほしいという思いや願いがにじんでいる。

程なく役者さんの事務所から、午後に報告のための記者会見をするとの発表があり。
内容はここでも示されてはいない。

それなのに。
間を置かずして、奥さんが亡くなったと各社から報道された。
ネットでは速報扱いだった。

その情報は正しいのか?
ソースはどこなのか?
会見を待たずに報道するのは何故なのか?

奥さんは何日か前までブログの更新をしていて、読者に希望を与えていたし、役者さんはずっと奥さんの回復を願っていた。
読者の多くが同じ気持ちで祈っていただろう。

察しなかったか、察することができないふりをしたのか、先走った報道がされた。

誰がその情報を早く知りたいと思うのか。

最愛の人の死を悼む時間を作りたかったが故に、察してほしいとメッセージを出したのではと、胸が痛む。

情報は、早ければいいというものではないと思う。
伝えられる側は、飛び込んでくる情報が何を伝えたいのかという意図や真意を汲もうとする。

この度の報道からは、悲しむ人の気持ちを理解できない、自分達のスピードを顕示したい欲にまみれた思いしか、理解できなかった。

記者会見を少し見たが、役者さんの涙に辛くなってテレビを消した。
かの役者さんの気丈で在ろうという姿へ浴びせられるカメラのフラッシュが、無情に役者さんの心を刺しているような感じがした。
舞台の合間の僅かな時間を当ててまでいるのだから、もう後は静かになるよう願う。

#今日の易占 を呟き中