会話の成り立ちを考える

会話というコミュニケーションにおいて、しんどさとか楽しさってどこで決まるんかな?と考えていたんです。

だらだらとテーマもなく喋っていても疲れない会話がある一方、たった5分でも噛み合わなくて疲労困ぱいになる会話もあったり。

何やろね?この違い。

しんどさを感じる時の状況を思い出すと、自分が相手にとって、聞き手なのか話し手なのかの区別がなかなかつかずに会話が続いているのは、かなり疲れ方が激しい。

疲れない会話は、自分の役割が会話始めの段階で決まっていたり引き受けたりしている時。

会話の内容によっては、自分と相手の知識量の差が大きく開いていると、聞き役が教えてもらっている態度でいる時に話し手が高圧的ではないのが心地よい。
また、聞き手が聞いてやっているという我慢があると、話し手は気持ちよくは話していられない。

会話はキャッチボールに例えられることが多いけど、リズムや技量を負担にならない程度に伺いながらお互いが合わせようとしなくちゃ、成り立たない。

こういうことを考えなくても、サラリとやってのけるのが聞き上手であり話し上手と言われる人達ではないかな?

そして、だらだらと喋り続けられる関係って、実はとても貴重なのかもしれん。

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