やりたい事をやる自由は、ルールという枠の中でやらないといけないよっていうのを、子どもに教えるのはほんまに難しい。
小学校と中学校は、その最低限のルールを学ぶところだとすると、多少の窮屈さは仕方のない部分だし、そうでなくてはという思いもある。
我が家の息子の三者懇談での話。
担任の先生から今学期を振り返っての感想を求められ。
仲の良い友達と遊ぶのに夢中になって、授業開始2分前行動という目標を守れなかったことを上げていた。
先生からの1回目の注意で聞かず、2回目でやっと席に着く事が頻繁にあった模様。
本人は反省していて来学期は改めるとしていたが、先生からは更に周りにも声かけができるくらい率先した行動を求められた。
反省を踏まえ、リーダーとなれるくらいに改心してほしいと期待された様だ。
親としては、その期待に対する受け取り方が分かれるところで。
ひとつは、それだけのことができる人物だとの評価をもらっていると考えられること。これは喜ばしく思う。
ひとつは、プレッシャーをかける度合いは段階を踏んでほしいと思うこと。人によっては、いきなりの難問という場合もあるからだ。
実際はね。
先生の顔色を見てさ、ここまでやったら怒られへんな〜とかさ、そういうの実は大事やと思うねん。という心の声。
空気を読むっていうのは、そういうことの積み重ねで得ていくものだと思っていて。
要領の良さや世渡りを完全否定する人がいるけど、実際社会に出た時にマイペースを貫くっていうのは好き勝手していると捉えられたりして、その人を生きづらくする。
教えることと本人が気付くことが、うまく連動した教育……それこそ、先生と親と本人の三者で連携していくのが大事なのだなと感じた。
先生が建前。
親が本音。
折り合いをつけ、自分はどうするのがいいのかを考える本人。
三者懇談ってそういう場だと思っている。
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