空気を読む、というのは日本の文化のように言われる。
茶道はそれが極まった形だと理解している(正式には習ったことはないけど)。
客(相手)をもてなすための心を尽くす。
そして客(相手)はその心を汲む。
しかし、ですよ。
何かを生み出す場では、空気を読んで予定調和を生むのは、得るところが少なくなるんじゃないかなと思うんよね。
そこは、空気を読んだ上で違うことをするのが、結果は出やすいのでは、と。
空気を読まないのではなく。
空気は読んで、その空気を変えるという感じ。
敢えての行動に移せるのは、空気が読める人だからこそじゃないかな。