チーム・組織という枠に反発心がムクムクする人いますよね。
私です。
全てがイヤな訳ではないんですよ。
むしろ、チームだからできることには積極的に関わりを持っていく方なので。
何がいらんのかというと、枠に収めなければならないはみ出し禁止という窮屈さ、ですかね。
人が集まればいろんな意見が出ますやん。
それが相乗効果になって、より良い方向へ進めばチームや組織の強みになります。
チームや組織が長く続くと、保守的な動きが目立つ様になるのが、イヤなんやろなと。
何故それができたのか?という意図を確かめた時、原点へ帰ろうというのが保守的な動きだと思います。
でも、意図の確認をした上で組織の存続意義が薄れるのであれば、意図の見直しは必要だと思うし、一旦解体して再構築という手もあるんです。
それがなかなか、組織が大きくなればなるほどできない。
今までうまいことやれてたから、そのままでええやん、とか。
責任は誰が持つのん?とか。
ああ、これ、この春また関わることになった某学校のPTAのことなんですけどね。
少々乱暴な言い方やけど、今までは過去の事で、これからを考える上で過去が枷になるんやったらら、変えていかなあかんのとちゃうの?と思うんです。
責任て何?
変えてみました、でもうまくいかへんかった、なので戻します。
それでええやん。
うまくいかなかったことに損害が伴ったなら、対処するのは当然やけど、それが責務を果たすこと・責任なのだから、関わった人皆で当たればいいこと。
それを大袈裟に捉えてしまいがちなのが、チームや組織というものなんでしょうね。
組織の中でなんの役割を担って、どんな実働をされているのか分からない顧問とかいう肩書きに踏ん反り返っている(様に感じる)数人を見て、自分が誰のために動きたいのかを考えています。