ネットネイティブなどと言われる、生まれた時にはそれがあった世代が大人になってきて、危ういなぁと思っているのが、検索してヒットした情報を精査せずに信じちゃうこと。
ぐぐって上位に表示されたものをそのまま信じちゃだめだというのは、ネットが家庭に普及しだした頃に使い出した世代だと当然の認識だったのだけど。
検索エンジンは日々進化していて、デマが比較的多いまとめサイトなどは検索上位にならない工夫がされたりしてきている。
そうなると、余計に調べる能力・探求する意欲が低下していくんじゃないかという懸念が生まれる訳で。
より便利に!という思いは不便を感じるから生まれて、工夫を重ねて編み出されるものを、ありがたく使わせて頂く訳やけど。
最初からあることが普通になっちゃうと、ありがたみは感じなくなる。当然になっちゃって。
これから、その当然の世界を生きる子どもには、モノが生まれた背景を丁寧に教えていくことで、その子達が新たなモノを生み出せる力を身につけられる様にしていかなあかんのかなぁ、なんてことを思っています。
だから歴史って大事なんよなー。
なぜ今ここに在るか、っていうのは、ほんとそこやねん。
学校とか教育機関はもっと、何故それを学ぶのかって意図を子どもに伝えてから学習に入る方がいいと思う。
特に子ども達の家庭学習時に、すぐにネットで調べるのをどうしたら他にも目を向けてくれるのかに悩んだり。
辞書や図鑑、資料集とかを駆使して調べていく中で、脱線して知識って幅広くなると思うんよね。
それがネットでは違う広がり方になってしまう。解釈の違いだけが深まったりね、極端な気がする。それもある程度は必要やけど……
今の子の勉強・学習ってどうしても受験が絡むから、知識を広げる時間がないみたい。
社会の授業でも、テストに出る大切な語句を覚えてねーって言うけど、何で大事かの経緯はさらっと流してる感じ。
こういう事があったから、今のこういう事があるんだよ、だからこれが大事だから覚えてねって教え方が、端折られている事があったりね。
そりゃ、勉強楽しくないわな〜。
考える力や想像力は、日々の積み重ねからできるもの。
つい子どもの心配ばかりしてしまうけど、実はおとなだってそれを意識していなかったら、おもしろくない受け身の人生を歩むことになるんやろなぁ。