気が付いてからでも5分は経っていたんだけど、外からちっちゃい子の泣き叫ぶ声が聞こえていた。
聞き取りにくいけど、どうやら何かできないことがあって、でも諦められなくて悔しくて……ってことみたい。
子どもの声だけしか聞こえてなかったのが、お母さんらしき声も聞こえ始めて。
「できないものはできないからね」
って、諭している。
穏やかな言葉なんだけど、外に聞こえるってことは語気は強いんだよね。
「だからっ!できるの!できないじゃないの!」
「できないよ」
「できないないの!」わーん!
ずっとこの繰り返し。これはお母さん、しんどいやろなぁ。
途中で触らないでって拒否する子どもの声も聞こえたから、お母さん手出しできないっぽい。
声だけなので、本当にできないことかどうかはこちらには分からない。
できると信じてがんばっていても、どう見てもできそうにないこともある。
小さい子の、そのがんばりは成長過程で大事だけど、誰かが少し手伝ってできるなら、子どもは助けてもらうことも有益だと知るだろう。
でも、助けてもらうことでしかできない自分を知ったなら、悔しくて悲しむかもしれない。
そんな子どもの様子を見ながら、親はその時にどう打ち手を出すかをほぼ瞬間で判断する事も多い。
手を出す出さない両方とも、匙加減が微妙なものだし。
大概のことは放っておいても何とかなる。
親ではない別の人がいい場合もあるし。
泣き叫ぶ声を気にしなくていい。
そう言われても、ご近所迷惑じゃないかとか、虐待だと思われたらとか、思うことは色々あると思うけど。
まあそれは、親視点だから。
子どもが何故そこまでの状態になっているかにフォーカスすれば、世間のことは気にしなくていいもので。
これ、おとなの社会にも当てはまることあるよね。
その後、その子の泣く声はピタリと止みました。
気付いてから10分程度。
親にとっては途轍もなく長い時間に感じると思う。
イヤイヤ期なら、これが1日何度となくあれば辛くも感じる事だろう。
うちも、泣きはしなくとも岩のように動かないことがあったので。
ブームみたいなもんだから。
永遠に続きそうに思っていても、振り返ってみれば本当に一時のこと。
過ぎると何であんなに長く感じたのかと不思議な時期で。
そして更に不思議と、子どもに必要な時期だったのだと分かるのです。
天雷无妄(てんらいむぼう)
成り行きに任せる