自分がやってきた事・できる事を書き出してみたのです。とある食育ロックボーカリストさんに触発されて。
やった事と携わった年数を書いてみて、ただいたずらに年月をかけたものと、その年月に心血注いできたものとに分かれました。
概ね長く年月をかけたものは、それだけかけても取得したい、或いは自分にとってそれだけの時間をかける価値があると思ったもの。
時間って命ですからね。
子どもの時から、やりたくない事はさっさと済ますか、やらないという選択をしてきたので、夏休みの宿題はワークや作文などは長くても7月中に終わらせ、絵やポスター・工作・自由研究を8月にやりたいだけやっていました。
そんなだから、始業式に両手と背中に作品を抱え、与太りながら登校した記憶。
そして、時間をかけてまでやりたいと思った事には、結果を出すのが当然と思っていました。
誰にも負けたくなかった、私これだけがんばったからって、認めて欲しかったんだろうと思います。
コンクールやコンテストに出品されたら、何か賞を頂けて、賞状・トロフィー・盾は保管に困るくらい貰えて。
これ、小学生の時ね。
中学生になってからは、自分が楽しければいいやって気持ちが大きくなっていきました。
やったら認めてもらえる経験を積んだから、楽しさを優先してもいいという許可が自分にできた。
賞レースに価値を見出さなくなりました。
ただ、そこそこの出来で満足する様になってしまったんです。
今はそこそこでいいか、とことんまでやるかの匙加減ができる様になっています。
これが成長かなぁ、と。
大人の今、とことんまでやったからといって、資格は欲しいと思いません。
仕事となると判断基準にされることが多い資格ですが、協会ビジネスもあるし、その資格でどれだけの実力があるかを測れるかといえば、分からないことが多いと感じるからです。
ところで。
自分の子ども達を見ていて、とことんまでやらなくても賞を頂けていると、常に余力を残している姿に歯痒さを感じる時があります。
10割の力を出したら、もっと喜べる事があるのにって。
これは親の欲でしょうかね?
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〈経歴〉
・吟道 7年(5〜12歳) 12歳の時、全国大会予選奈良県大会で準優勝
・ガールスカウト 7年(5〜12歳) 12歳の時、優秀スカウトに選出される
・書道 19年(6〜25歳) 13歳の時、書き初めサンケイ新聞社賞。15歳の時、ペン検2級取得。20歳で所属書道会師範取得。
・華道 9年(18〜27歳) 21歳の時、未生流中山文甫会師範取得
これら全て、趣味の域を超えることはなかった。
・STARDUST REVUEファン歴30年(継続中)
・ネーム刺繍コンピューターミシン用型作成 25年
・主婦業 17年
・占業 12年(学びは20年・継続中)
・某ファンクラブ主宰 9年 内、メルマガ発行8年
趣味と一括りにしているけど、吟・書・華3つの道は生き方に直結しているので、外せない。それぞれいい先生に就けて幸せでした。
ちなみに、小学生の時にそろばんを2年で辞めています。
「計算が早くならないから、これ以上続けても無駄だと思う」と、親を説得して辞めました。