攻撃が防御ったって、鍛えられてなきゃ打たれ弱い

過剰に自分を責める人がいる一方で、責任は全て周りにあると不平不満や愚痴ばかりの人がいる。よくまあ、そこまで他人を攻撃できるもんだと驚いたり呆れたりすることは多い。

 

そんな愚痴を聞きながらふと思うのが、愚痴を言いながらこの人は後悔に苛まれていないかなということ。

 

あの時こう言ってくれたら対処した、というのは、あの時こう言われる前に何故気付かなかったのか、とか。

 

こうされたからこうしたのに失敗した、というのは、こうすればよかったのに、とか。

 

本当は全部自分に返ってくるのを、傷つくのが怖くて、全ての責任が自分になるのが怖くて、あるいはそんな事は全部分かっているけど耐えられなくて外に向ける事で自分を守っているのかな?と。

 

こんな事になったのはあの人のせいなのと聞かされて、それはそれはお気の毒にと答えたら、きっとその人は自分が守られるんだろうけど。

常にニュートラルに聞くことを心がけていると、へぇーそうなんだ、としか答えない。そうとしか答えられないのだ、片方からの意見には。

すると、だんだんと言葉数が少なくなり、攻撃対象はその人自身へ変わっていくのだ。

 

こんな事になるなら、もっと自分がしっかりするべきだった、と。

 

本当は原因がどこにあるのかよく分かっていても、認めたくない事はある。

楽になれる方法を探す、人って弱い部分があるからそれは必要な時もある。

心を守りたいなら、心を鍛えるしかない。

 

何に傷つき何に弱いのか、直面した時こそ見つめるタイミングなのだ。

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